わ~くわっくだより 8月のわ~くわっくギャラリーは、「戦争中の暮らしを語り知る」展(2019年9月)
8月になると新聞やテレビでは、広島・長崎の原爆や終戦の日の話題を多く見かけるようになります。わ~くわっく北本やてとてにも、戦争を知る世代の利用者のかたがいらっしゃいます。身近に直接お話しをお聞きし、戦争と日々の暮らしの記憶を若い世代に伝えたいという思いから、「戦争中の暮らしを語り知る」というテーマで展示をしました。
まず、終戦前後の暮らしについてのアンケートを実施しました。当時大学生だったという90代のてとての生活サポート利用者の方、夏休みに実家に帰ったとき祖父母の体験を子どもと一緒に初めて聞いたというお母さん、サロンの展示を見て「私も…」と幼いころの記憶をたどりながらアンケートに答えてくださる方…。おひとりおひとりが当時を思い出し、丁寧に言葉を紡いでくださいました。これらを壁一面に掲示しました。
また、戦争に関連する本を置いたり、希望者には原爆の図を紙芝居にしたアーサー・ビナードさんの「ちっちゃいこえ」の読み聞かせをしました。
展示を興味深く見入っている方も多く、戦争を知る世代も戦争を知らない世代も、ともに身近な出来事として戦争をとらえなおすきっかけになりました。
わ~くわっく北本にとって、かけがえのない宝物が増えました。
展示を興味深く見入っている方も多く、戦争を知る世代も戦争を知らない世代も、ともに身近な出来事として戦争をとらえなおすきっかけになりました。
わ~くわっく北本にとって、かけがえのない宝物が増えました。
(岡本)
以下、アンケートの一部をご紹介します。
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主人の話。
熊谷の空襲にあった。家にあった消防ポンプで火を消した。
熊谷の町では、家財道具をリヤカーに載せて、逃げる人がたくさんいて、
町の中に枕やこどもが落とされていた。
(終戦の日 17歳 女性 鴻巣) -
終戦の日は、広島市内爆心地から2.4キロで、自宅庭で遊んでいた。
父は即死。
父を探して兄と祖父が戦後1年の内に原爆症にかかり亡くなくなり、
母と姉妹4人の生活は売れるものは全てじゃがいもや少しのお米になり、
新聞配達をしてなんとか生きていました。
(終戦の日 6歳 女性 北本)
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終戦の日、秩父の家に帰っていた。玉音放送を聞くためにラジオの前に座った。
涙も出なかった。
女学校を卒業し、女子挺身隊で弾丸を作っていた。
2年の予定だったが、1年を経た時点で青年学校の代用教員を頼まれ、
国語と歴史を教えた。
勤労奉仕で農家のお手伝いの時に、カイコを箸ではさんで怒られた。
(終戦の日 17歳 女性 鴻巣) -
終戦の日は、玉音放送を聞いていたが、ピンとこなかった。
防空頭巾を着て、逃げなくていいのが嬉しくて嬉しくて…。
3月18日の大阪の空襲時は、女子挺身隊で電話局で働いていた。
その時の友達がまっ黒になっているのを見て、悲しかった。
人間の死体って、こんなになるのかと思った。
(終戦の日 17歳 女性 北本)
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